ヨハネによる福音書 1章19〜28節

洗礼者ヨハネは、自分を「荒れ野で呼ばわる『声』」と言います。その声は、荒れ野のようなこの世に向かって、「救いの光は既に来ている」と叫びます。多くの人が彼の「悔い改めて神に立ち帰るように」との勧めに応じて洗礼を受けます。人々の尊敬の眼差しも彼にとっては無用なこと。特別なことをするのでもない。奇跡を行うわけでもない。ただ自分を低くして、「キリストが今ここにおられる。」と荒れすさむ世に向かって叫ぶ。これが神から託された務めです。私たちはヨハネのように自分を低くすることが不得手です。しばしば高慢になります。時には神よりも高くなろうとする。そんな、へりくだることが苦手な私たちをも救いの道へと導いてくださるキリストがここにおられると、ヨハネは告げているのです。

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