ローマの信徒への手紙 2章1〜16節

御言葉は、自身の義を良しと感じ、他者の悪に対し倫理的憤りを覚え、裁く人たちに「すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない」と告げます。どれほど表面的に慎み深く、正しくあろうとも、そんな外見に惑わされることなく「神はおのおのの行いに従ってお報いになります」。人の現実に行った行為に対して神は「終わりの日」に裁きを下される。その裁きから誰一人逃れることはできない。であっても、「御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。」と告げる御言葉。キリストは裁き主であると同時に、裁かれる者の弁護者です。「恵みと裁きは一体」ということ。そのキリストから信仰を与えられた者が、その恵みに応えて良い業を行うのはごく自然なこと、当然なことだと言えましょう。

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