ローマの信徒への手紙 4章13〜22節

キリスト者が「信仰の父」と呼ぶアブラハム。彼は神によって義とされた、つまり正しい者と認められた。そのことを聖書は「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」と記します。義と認められる、救いの約束を受けるのは、自分の良い行いや働きによってではない。ただ「主を信じた」ことによってです。私たち、ついつい神に義と認められるには、正しいこと、良い行いをしなければならないと思ってしまいます。自分の罪を反省して、良い行いをして神に善しと認められようと努力する。しかし聖書が語るのは、良い行いや業が先にあるのではなく、ただ神の恵みと憐みによって義とされ救いに与かるということ。人知では不可能とも思える神の約束の実現を待ち望むこと。それが信仰だと聖書はわたしに告げます。

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