詩篇 49編2〜21節

富を持ち力も持つ者たちと、貧しく弱い人たち。「どうして」。詩人は神に真実を見る目を求めます。与えられたのは「永遠」と「死」を通して見る目。人の力や富の価値を命の終りである「死」から眺めるなら何ほどものでもないということ。人には越えられない死という限界がある。力も富も知恵も、死から自分を贖うことはできない。死は何よりも平等。賢い人も愚かなる人も死なねばならない。生存中に集めた財宝は、死ぬ時には他人に遺される。ですから、私たち、いずれ体験しなくてはならない死も、自分にとっての生の価値を崩壊させる恐怖とはならないのです。なぜなら死を支配するものは、人をその死から救い出すもの、贖う神の力だからです。そして、この神との関係こそ、死を越えた永遠の生を意味します。

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