Author Archives: poster
ローマの信徒への手紙 4章23〜25節
十字架と復活のイエスを信じキリスト者とされた者は、今までの罪が赦され、二度と罪の虜にならない?。そんなことはありません。あいかわらず日常的に罪を犯し、そのつど「赦してください」と願い祈ります。それでは十字架は何なのか。「 … Continue reading
ヨハネによる福音書 5章19〜30節
「時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞く」。終りの日の善を行った人と、悪を行った人の復活です。善を行った者には永遠の命が、悪を行った者には裁きが与えられる。では善を行うとはどういうことか。言葉通り善行を積み重ね … Continue reading
詩篇 51編1〜14節
「わたしは罪を犯しました」。そのことをはっきりと分かっている者が、その罪を赦していただきたいと神に祈っています。この祈りを遠い昔の詩人の祈りと聞くか、我が事として聞くかは、私たちが自分の罪をどのように受け止めるかにかかっ … Continue reading
礼拝への招き(2016年7月)のご案内
日時 : 7月17日 (日) 午前10時30分 説教題「人はパンだけで生きるのではない」 申命記 8章2〜4節 説教者 : 松永 政和 牧師 人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる … Continue reading
コリントの信徒への手紙 3章4〜9節
「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させてくださったのは神です」。ここが一番のポイントです。植えること、水を注ぐこと、どちらもさほど重要なことではない。大事なのは「成長させてくださる神」です。このことを忘れて人 … Continue reading
ヨハネによる福音書 5章1〜18節
[ベトザタ]と呼ばれる池の回廊に、歩くこともできない人が「いつの日か癒される」という望みと、「どうせこうして人生終わるのだ」と諦めながらも三八年間、安住の場としています。その人に「良くなりたいのか」とイエス。それは彼が忘 … Continue reading
子供の日・花の日 合同礼拝
日時 : 6月12日 (日) 午前10時30分 普段、子供達は教会学校の礼拝に出席しますが、子供の日・花の日の合同礼拝では、子供も大人も花を持ちよって、礼拝に集います。
ローマの信徒への手紙 4章13〜22節
キリスト者が「信仰の父」と呼ぶアブラハム。彼は神によって義とされた、つまり正しい者と認められた。そのことを聖書は「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」と記します。義と認められる、救いの約束を受けるのは、 … Continue reading
詩篇 49編2〜21節
富を持ち力も持つ者たちと、貧しく弱い人たち。「どうして」。詩人は神に真実を見る目を求めます。与えられたのは「永遠」と「死」を通して見る目。人の力や富の価値を命の終りである「死」から眺めるなら何ほどものでもないということ。 … Continue reading
聖霊降臨日記念礼拝
日時 : 5月15日 (日) 午前10時30分 説教題「信仰によって」 説教者 : 松永 政和 牧師 教会の誕生日である聖霊降臨を記念する礼拝です。

最近のコメント