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コリントの信徒への手紙 13章11〜13節
使徒パウロの手紙には「喜び」の言葉が溢れています。「兄弟たち」と呼びかけ「喜びなさい」と言います。彼が私たちに勧めることは、「喜ぶ」ということです。それは、特に信仰者にとって大事なことだからです。というよりキリストを信じ … Continue reading
使徒言行録 3章11〜16節
「聖霊降臨日」。天に昇られたイエスが約束されていた、ご自分に代わって何時も私たちの傍らにいて、私たちを守り導く聖霊が降って来た日です。この聖霊が臨むことによって弟子たちは変わりました。力強くイエスの救いを語り、病人には癒 … Continue reading
詩篇 32編1〜11節
救いとは何か、それは罪の赦しです。神への罪。しかし自分の過ち、罪を告げることは中々難しいことです。そこで人は心の内を沈黙でもって防御します。しかし沈黙で心の平安は得られません。詩人は「わたしは黙し続けて、絶え間ない呻きに … Continue reading
コリントの信徒への手紙II 13章5〜10節
キリストの伝道者パウロは悔しかった。力の限り救いの福音を語ってきたのに、いつまで経っても理解しない人たち。そればかりか、「パウロは間違っている。彼の教えは可笑しい」とまで言いだす者がいる。私たちもまた相手のことを思い、話 … Continue reading
マルコによる福音書 14章32〜42節
十字架に架けられる少し前、イエスは「何でもおできになる」神に祈られた。「この杯をわたしから取りのけてください」と。杯はイエスの十字架での死を意味します。「神の御子だろう、どうしてそんな弱音を吐くのか」と思わないことです。 … Continue reading
詩篇 30編2〜13節
人は時に重大な試練、死と直接対面するような経験をすることがあります。今朝の詩編の作者は、そのように病のために墓穴に追い詰められながらも、自分が今生きていることに意味を見出そうとしています。今までの生き様を振り返えり、改め … Continue reading
コリントの信徒への手紙II 13章1〜4節
キリストの力は弱さと強さの中にある。神の愛による十字架は、真に弱いもののように見えるが、実は弱くはない。キリストは、弱さの極みから力強く復活された。十字架も復活も、私たちの救いのため。人の目には、十字架では弱さが目立ち、 … Continue reading
マルコによる福音書 13章24〜37節
「終末、キリストの再臨の日」を前に、私たちには「気をつけて目を覚ましている」ようにと。なぜなら「その時がいつなのか分からない」から。それは、「旅に出る主人が門番に目を覚ましているようにと言いつけておくようなもの」。再臨の … Continue reading
マルコによる福音書 16章1〜7節
イースター記念礼拝 イエスは十字架で死んで墓に葬られ、そして三日目に復活された。その墓の入り口を大きな石が塞いでいた。外と内を完全に塞ぐ石。しかしイエスは死の墓の中から、命に復活された。ではその死と命を隔てていた石を取り … Continue reading
マルコによる福音書 14章1〜11節
「一人の女性が、香油をイエスの頭に注ぎます。労働者一年分の賃金ほどの高価な香油。使う時は石膏の壺の口を割る、つまり使い切るということ。「なぜこんなに香油を無駄使いしたのか」と叱る弟子たち。しかしイエスは「なぜこの人を困ら … Continue reading

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